近持選手、障害を克服しての表彰台

以下、近持選手のレポートを転載します。

 

 

今の僕にとってマウンテンバイクレースで3位を取ると言う事は、恐らくこの先、2度と無いであろうと言える程の奇跡的な事である事から、少し長くなりますが思いを書かせてください。
2015年度は、自分にとって挑戦の年と考え行動してきました。
過労により倒れた4年前、脳下垂体の神経と頸椎を圧迫してしまい左半身不随で病室のベッドに寝たきりとなったあの日、僕にとって何もかもが止まってしまいました。
何に於いても投げやりで、愚痴を言い、周囲に嫌な思いをさせ、不快感をばらまいても自分の気持ちが晴れる事は全くありませんでした。
また、輪にかけて辛かったのは、そんな家族に当たる自分に一切文句を言わない家族にも負い目と辛さが有り、やり切れませんでした。
 一方で、MTBで活躍する選手や自転車を楽しんでいる知人を妬みました。
愚かでした・・・・
泣けました。 
心底泣きました。
「 なぜ 自分だけがこんな目に合うのかと・・・・ 」
投薬治療も辛く検査も痛くて辛い物でした。
動かない左足と左手を、憎たらしくて雑誌を丸めて、何度も何度も痣が出来るまで叩きましたが
何も変わりませんでした・・・・
それから、足を引きずりながらも何とか歩けるようになりましたが、左顔面は垂れ下がり、左手は巻いたまま伸びきらず、ゆっくり歩けても精々10分が限界でした。
昼間では人に自分の醜い姿を見られるのが嫌で、夜の散歩によるリハビリをしました。
こんな無様な姿や顔を決して人に見られたくなかったんです。
今でも覚えています。
自宅前の公園のベンチに座って、ひとり泣きながら、自転車を諦めた事を!
それでも諦めたと言いながら、諦めきれない自分が居ました。
その時、僕に勇気と希望を与えてくれる尊敬する人が現れました。その人の背中を見て少しでもマウンテンバイクに係った事がしたかったのでレースのイベンターとして勉強し、企画し挑戦しました。息子を育成して、自分の知る限りのライディング技術を教え込みました。
止まっていた自分の何かが動き始めた気がしました。
それから2年と数か月、通常の倍以上のリハビリを行って死にもの狂いで努力しました。
不格好で、無様で、まるで地べたで、もがく飛べないカラス
人目を気にする余裕さえ無く、もがく様に努力しました。
何としてでも復活する事を脳裏に描き、その日が来ることを胸に努力しました。
それが僕の希望となりました。
今、僕は、マウンテンバイクを通じて多くの仲間やスポンサー様に支えられ今を生きています。
決して完全完治したわけではなく、未だ左半身に障害を持っています。それでも自転車に乗れるようになりました。
レースにも参加できる様になりました。
勝てるなんて思ってはいません。
でも自分にだけは勝たなきゃならない! そう強く今も思っています。
諦めなければ、必ず昨日の自分を超える事が出来るだろうし、その先にある何かが、ぼんやりですが見えてくるのです。
地獄の底を見てきた男は、今、心が強くなって帰ってきました。
何気ない一日に感謝し、
一歩の歩みに感謝し、
前に進める事を喜びに、
全てに感謝して努力しています。
全力で挑んだ妙高ダウンヒルアバランチェ第3戦 最後まで諦めずにコース上で巻き起こるチャンスをひとつひとつ掴みとり、戦い抜いた結果、3位を獲得する事ができました。
レース後に、僕が最も尊敬する人に、「よく頑張ったな〜」の激励に、溢れて来るものがありました。
そしてその尊敬する人から記念すべきTシャツを御褒美に頂きました。
何にも変えられない僕の宝物です。
苦しい病と闘い続けている多くの方々に、勇気と希望を持ってもらえる様に!
今度は僕が、光となれるように、これからも努力を繰り返して左半身の障害を跳ね除けてMTBレースに挑み続けます。
Thank you, my sponsor
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